新宿御苑企画展「チョウが消えてゆく」無事終了
- 2011/12/18
- 21:16
12月13日(火)から6日間に渡って行われた新宿御苑企画展「チョウが消えてゆく」
おかげさまで、本日をもちまして無事終了いたしました。



会場となった新宿御苑アートギャラリー。

今回の企画展では、テーマを4つ設け、会員諸氏から募った全41点を展示しました。
「都市のチョウ」
「集うチョウ」
「チョウの表情」
「綺麗なチョウ」




会期末の土日には、佐々木幹夫・中村康弘両氏によるミニ講演会が開催されました。

写真の他に、チョウ類保全協会の活動内容などを盛り込んだ
このようなパネルも展示しました。

特別コーナー。
山形在住の自然写真家・永幡嘉之氏作成「東日本大震災 自然界の記録」
氏が、震災後8ヶ月に渡って東北を歩き、調査・記録したパネルは
強く強く、私たちの目に、心に響き、問いかけるものがありました。
↓Moreにて、氏の記された全文をご紹介したいと思います。
「東日本大震災 自然界の記録」 写真及び文章:永幡嘉之
遠雷のまたたきが北の方角に残る、湿度の高い夜だった。
雲の切れ間に星空が広がった。
津波で人工物の大半を流されて、周囲に全く明かりのなくなった宮城県山元町の海岸。
思いがけず、見事な星空に出会ったのだ。
明るい星が乏しいはずのペルセウス座の周辺にさえ、こんなにも星があったのかと思うほどに、
普段は見えない小さな星のひとつひとつが輝きを放っていた。
防潮林のクロマツがまばらに黒い影を残す東の地平線に、
昇ってゆく昴ことプレアデスがまたたきを繰り返す。
波音だけが絶え間なく響き渡る闇のなかで、
スズムシやコオロギの調査の合間に思わず足を止め、
大発生しているアカイエカの羽音さえ忘れて雲間の星を見上げていた。
8月31日のことだ。
春以降、多くの破壊と絶滅、そして生命の復活を見続けてきたが、
わずかに生き残ったトンボは痛々しく、
まばらに鳴くスズムシの声も悲しかった。
半年間で、心から美しいと思えた光景は、あの夜の星空だけだったかもしれない。
ひとつの花を構図や光を考えながら、似た種類との区別点も分かるように数時間かけて撮る。
一種類の虫の写真を撮るために1週間同じ場所に通い詰める。
そうした自然写真家としての仕事を、今年は捨てた。
何が起こったのかを、少しでも正確に知りたかった。
人の被害ばかりが報じられたけれども、
自然界がどのように傷つき、これからどのように変化するのか、
誰も調べてはいなかった。
自然の豊かさを売りにしてきたこの東北が、これからどのような途をたどるのか。
個人の力量は限られてはいるけれども、
刻々と進む季節、失われゆく津波の痕跡を前に、
時間に追われながら、動植物の追跡を続けてきた。
カメラは持ち続けたけれども、それは調査結果を記録する一手段でしかなかった。
東北地方は自然環境の「豊かさ」で名前が通っていた。
3月11日以降、80日以上にわたって沿岸を調べ歩き、5万キロを走り続けてきた。
それは動植物の調査であると同時に、そこに暮らす人々の生活と向き合う時間でもあった。
人々が生活を再建するとき、土地や建物などの目に見える財産はもちろん重要だ。
同時に、生活環境の「豊かさ」もまた、物心両面で再建を後押しするだろう。
私も動植物の調査を通して、自然環境の「豊かさ」に憧れて東北地方に定住した一人だった。
この震災を通して、東北の魅力すなわち「豊かさ」がどのようになってゆくのか、
懸命に追い続けた8ヶ月だった。
もし、今後も人々が東北という地域に「豊かさ」を求めるならば、
まず最初に自然環境に何が起こったのかを調べ、記録し、
そして今後の東北の社会のあり方を考える議論がなされるべきではないのか。
津波を受けた場所では、「とりあえず元通りに」と、
農地だった場所は農地に戻す事業が続いている。
津波による破壊のあとで「元通り」にするためには、すさまじい土木事業を必要とする。
復旧という名の下に、都市部と同じような防災都市を築き上げてしまっては、
東北の「豊かさ」は失われてしまうだろう。
そこに、魅力は果たしてあるだろうか。
残念ながら夏から秋へと季節が進み、津波の痕跡が時間とともに消え去るなかで、
復興会議をはじめとする今後の長期計画のなかに、
自然環境に関することは具体的に盛り込まれていない。
研究者からの政策提言も、国立公園を今後どのようにするのかという方針も出ていない。
人間生活だけが優先され、目に見えない「豊かさ」まで議論する場も窓口もない。
生きものの復活は時に報じられるが、絶滅はほとんど話題に上らない。
でも、絶滅から学び取ることを、教訓あるいは反省点として
復興計画のなかに盛り込む社会でありたい。
そうでなければ、反省のないまま同じことを繰り返すだろう。
生き残ったメダカやトンボのこと、大発生したアブラムシやテントウムシ。
そうした人々にとって身近な生きものの調査を通して、
津波後の東北で「豊かさ」がどのように残り、
変化しようとしているのかを記録してきた。
宅地の跡を覆ったエノコログサもツユクサも枯れ、
倒れた電柱に、幾匹ものアキアカネが暖を求めて翅を休めていた。
クロマツの倒木を乗り越えて砂浜をたどりながら、
日本社会の、そして東北という地域の行く先を考え続けていた。
歩き続けるなかで、季節は確かに進んだ。
炎天下の砂浜をたどり続けた日々はつい先頃のことだったのに、冬がもうそこまで来ている。
何を学びとり、何を今後の社会に生かすべきか。
その叩き台として、現場の記録をまとめた。
人々が再び豊かな生活を送るために、東北地方の「豊かさ」がこれからも続くように。
(展示パネルより全文抜粋)
お忙しい中、会場にお越しいただいた皆様
本当にありがとうございました。
sippo
おかげさまで、本日をもちまして無事終了いたしました。



会場となった新宿御苑アートギャラリー。

今回の企画展では、テーマを4つ設け、会員諸氏から募った全41点を展示しました。
「都市のチョウ」
「集うチョウ」
「チョウの表情」
「綺麗なチョウ」




会期末の土日には、佐々木幹夫・中村康弘両氏によるミニ講演会が開催されました。

写真の他に、チョウ類保全協会の活動内容などを盛り込んだ
このようなパネルも展示しました。

特別コーナー。
山形在住の自然写真家・永幡嘉之氏作成「東日本大震災 自然界の記録」
氏が、震災後8ヶ月に渡って東北を歩き、調査・記録したパネルは
強く強く、私たちの目に、心に響き、問いかけるものがありました。
↓Moreにて、氏の記された全文をご紹介したいと思います。
「東日本大震災 自然界の記録」 写真及び文章:永幡嘉之
遠雷のまたたきが北の方角に残る、湿度の高い夜だった。
雲の切れ間に星空が広がった。
津波で人工物の大半を流されて、周囲に全く明かりのなくなった宮城県山元町の海岸。
思いがけず、見事な星空に出会ったのだ。
明るい星が乏しいはずのペルセウス座の周辺にさえ、こんなにも星があったのかと思うほどに、
普段は見えない小さな星のひとつひとつが輝きを放っていた。
防潮林のクロマツがまばらに黒い影を残す東の地平線に、
昇ってゆく昴ことプレアデスがまたたきを繰り返す。
波音だけが絶え間なく響き渡る闇のなかで、
スズムシやコオロギの調査の合間に思わず足を止め、
大発生しているアカイエカの羽音さえ忘れて雲間の星を見上げていた。
8月31日のことだ。
春以降、多くの破壊と絶滅、そして生命の復活を見続けてきたが、
わずかに生き残ったトンボは痛々しく、
まばらに鳴くスズムシの声も悲しかった。
半年間で、心から美しいと思えた光景は、あの夜の星空だけだったかもしれない。
ひとつの花を構図や光を考えながら、似た種類との区別点も分かるように数時間かけて撮る。
一種類の虫の写真を撮るために1週間同じ場所に通い詰める。
そうした自然写真家としての仕事を、今年は捨てた。
何が起こったのかを、少しでも正確に知りたかった。
人の被害ばかりが報じられたけれども、
自然界がどのように傷つき、これからどのように変化するのか、
誰も調べてはいなかった。
自然の豊かさを売りにしてきたこの東北が、これからどのような途をたどるのか。
個人の力量は限られてはいるけれども、
刻々と進む季節、失われゆく津波の痕跡を前に、
時間に追われながら、動植物の追跡を続けてきた。
カメラは持ち続けたけれども、それは調査結果を記録する一手段でしかなかった。
東北地方は自然環境の「豊かさ」で名前が通っていた。
3月11日以降、80日以上にわたって沿岸を調べ歩き、5万キロを走り続けてきた。
それは動植物の調査であると同時に、そこに暮らす人々の生活と向き合う時間でもあった。
人々が生活を再建するとき、土地や建物などの目に見える財産はもちろん重要だ。
同時に、生活環境の「豊かさ」もまた、物心両面で再建を後押しするだろう。
私も動植物の調査を通して、自然環境の「豊かさ」に憧れて東北地方に定住した一人だった。
この震災を通して、東北の魅力すなわち「豊かさ」がどのようになってゆくのか、
懸命に追い続けた8ヶ月だった。
もし、今後も人々が東北という地域に「豊かさ」を求めるならば、
まず最初に自然環境に何が起こったのかを調べ、記録し、
そして今後の東北の社会のあり方を考える議論がなされるべきではないのか。
津波を受けた場所では、「とりあえず元通りに」と、
農地だった場所は農地に戻す事業が続いている。
津波による破壊のあとで「元通り」にするためには、すさまじい土木事業を必要とする。
復旧という名の下に、都市部と同じような防災都市を築き上げてしまっては、
東北の「豊かさ」は失われてしまうだろう。
そこに、魅力は果たしてあるだろうか。
残念ながら夏から秋へと季節が進み、津波の痕跡が時間とともに消え去るなかで、
復興会議をはじめとする今後の長期計画のなかに、
自然環境に関することは具体的に盛り込まれていない。
研究者からの政策提言も、国立公園を今後どのようにするのかという方針も出ていない。
人間生活だけが優先され、目に見えない「豊かさ」まで議論する場も窓口もない。
生きものの復活は時に報じられるが、絶滅はほとんど話題に上らない。
でも、絶滅から学び取ることを、教訓あるいは反省点として
復興計画のなかに盛り込む社会でありたい。
そうでなければ、反省のないまま同じことを繰り返すだろう。
生き残ったメダカやトンボのこと、大発生したアブラムシやテントウムシ。
そうした人々にとって身近な生きものの調査を通して、
津波後の東北で「豊かさ」がどのように残り、
変化しようとしているのかを記録してきた。
宅地の跡を覆ったエノコログサもツユクサも枯れ、
倒れた電柱に、幾匹ものアキアカネが暖を求めて翅を休めていた。
クロマツの倒木を乗り越えて砂浜をたどりながら、
日本社会の、そして東北という地域の行く先を考え続けていた。
歩き続けるなかで、季節は確かに進んだ。
炎天下の砂浜をたどり続けた日々はつい先頃のことだったのに、冬がもうそこまで来ている。
何を学びとり、何を今後の社会に生かすべきか。
その叩き台として、現場の記録をまとめた。
人々が再び豊かな生活を送るために、東北地方の「豊かさ」がこれからも続くように。
(展示パネルより全文抜粋)
お忙しい中、会場にお越しいただいた皆様
本当にありがとうございました。
sippo